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2013年1月30日水曜日

卒・修展 四日目 ゲスト:粟田大輔さん

本日はとうとう午後ラジ最終日です。
ゲストは美術批評家である粟田大輔さんです。

はじめに学部生4名の講評を行っていただき、すぐあとにトークを開催、最後に修士生1名を講評していただく流れとなりました。

1人目は中村奈緒子さん。午後ラジのゲスト講評ではおなじみです。
今回はどのような部分に突っ込まれ、展開していくのでしょうか。

中村奈緒子さんの作品タイトルは「こんにちは」。
真っ先に粟田氏は先端カタログの中村さんのステートメントを引用。
「ワタシハ ニワシ ヨウコソココヘ ココハ ワタシノ オニワナノ ドコモ カシコモ ソコラジュウ キレイナ オハナヲ サカセルノ (先端カタログ参照)」
という文章があるが、面白いと評価。
中村さんはよく詩を書くそうです。この詩は庭師の絵を描いているときに思っていたことがぎゅっと凝縮しているのだそう。
そこから粟田さんは作品全体の空間も”庭”をイメージして構成しているのかと問いかけると、そこから発展していったと中村さん。

穴にひもを通すような絵は、その形式上ビット絵やピクセル画のようで、デジタルっぽいことに粟田さんは着目。中村さんにとってそこは狙いではなく、穴を使って図柄を作り出すときに細かくならないためピクセル画のようになっているのだそう。
粟田さん「へたうまが好きなのかなって。ナカザワヒデキさんが吉祥寺で展示やってるけど行くといいよ。相当収穫があるんじゃないかな。すごい仕事量だし時間がかかると思うけど、制作中ってテンション上がってくるの?どんどんできる感じ?」
中村さん「連続した作業が好き。えんえんやってられます。」
また、素材のビニールヒモは色が入り過ぎたり素材がかわい過ぎないよう、男前要素として採用したのだそう。中村さんには素材の選び方にも独特の肌触りがあるようです。



また粟田さんからはモチーフ選びついて質問が入ります。
そもそもこの作品に登場するモチーフは家、庭、花、犬などで、初等教育の頃に出会うようなイメージ群だとの指摘が。犬とかいるけどこれは何故?
しかし中村さんはモチーフに関しても独特なセンスを発揮しています。中村さんは作っている最中に「犬つくらなあかんなぁ(動物モチーフ欲しいな・・)」と思ったのだそう。それで発想したのはバイオハザードのゾンビのような気持ち悪い犬だったようです。
粟田氏「ゾンビ犬とかは中村さんの危なさが出てる。良いな。」
また粟田氏はイメージソースやストック、データベースがあるのかどうか問いかけると、中村さんはあえてもうけていないとのお答えが。
粟田氏「でも、ちょっとそういうの(過去など)を調べてみてもいいかも。教科書の図版であったり、イメージの記憶がどこから来てるのか、どんなものがあるのか。」

先日よりもモチーフやイメージ作りに重点が置かれた講評となりました。


次は飯田有佳子さん「[あなたと]あの子の見つけ方」
飯田さんの作品にはニュースで見た記事からインスピレーションを受けたものとなっています。そのニュースとは、新宿で1人の人が何もない空間をじーっと見ていたら、何かあるのかと集まってきた何人かが、一定時間の間ずーっと同じ方向を見ていた、というもの。
それは例えばホラー映画でいうと、物語が終わってモニターを消しても、今度はその余韻で部屋に何かいるんじゃないかという気になってしまう現象に通ずる部分があるんじゃないかと飯田さん。
物語が終わってもその余韻の中で自ら別の物語を物語ってしまう、それを映像メディアと組み合わせて舞台を作り、表現しようと試みたのだそうです。

粟田氏「間接的に影響を受けたニュースがきっかけというのは興味深い。ニュースの物語を別の物語として表現するということ。カメラは映像の見る/見られるの関係、直接的な関係性が構築される。別のメディアを通すことで間接的に見えないものが見えるようにしようという試み、こういった間接的なのはすぐれた作品がやってるケースが多い。映像でやるのは難しいと思うが、チャレンジしていってほしい。物語を解体するというのは抽象芸術などがやってきた。それを利用しベタに物語に落とし込むという方法論も良い。抽象度高いと読まれにくい。是非展開してほしい。」





お次は浅古綾香さん「夢の跡」です。
東京で生まれ育った浅古さんですが”東京は滅んでしまうのではないか”という不安を抱いているそうです。
大きなきっかけは東北の大震災。
事故や災害としてだけではなく、国や社会が隠し事を持ってることを強く実感してしまったのだと言います。
危機に瀕していながらも見ようとしていない自分というのにも気付き、目を逸らすことへの怒りなどが混じってこのような都庁の周りを発砲ウレタンの雲のようなものが覆いかぶさるイメージへと発展したようです。
その方法論は特撮映画、ゴジラなどが同じように生まれたのだよと粟田氏。
粟田氏「1954年ビキニ島核実験によって起きた第五福竜丸事件をきっかけに製作されたのがゴジラ。ゴジラは水爆実験の不安から出てきた一つの形であり表象である。慶応義塾大学アートセンターの「ゴジラとアトム」すごい面白いので読んでみると良いよ。」

 作品化することで不安はどのように変化を遂げたのか粟田氏が問いかけると「もっと考えなければという気持ちは高まり、形にしたかといって発散されることはなかった」と飯田さん。
粟田氏「不安という動機を継続し高めていく”器”みたいなおものを見つれば更に発展するのでは?不安の強度の圧縮の仕方を見つけられるんじゃないか。目立て器にさらに入れ子の箱みたいな、不安・無意識のパラドクス。メタ化してく必然性ある。」



次は片山慈子さんの「歩道と流転の引継ぎ」です。
こちらも午後ラジではおなじみの作品です。
この作品には初期状態というのはなく、ただいつまでもどこまでも分解され北も南もなくなる世界地図が存在しています。

粟田氏「積み木という要素がまた、初期教育で学ぶ遊びのルールなどに通ずる気がする。政治性は孕んでいるのか?」
片山さん「社会問題は意識していません。一歩の歩道、世界地図というみんなが知ってる記号というこの一点だけにポイントを置いていました。」
粟田氏「でも、たとえ本人が意図していなくても、要素があるだけで人にはどのようにも見られてしまう。それこそ入り込んで来ちゃうんだから、逆にそこは片山さん自身入り込んでいったほうがいい。そこがないといくらでも突っ込まれてしまうよ。」




学部生のラストは田村かのこさん。タイトルは「ミュージアムショップ」
この作品は田村さんが勝手に先端生の作品のポストカードを展示場内で販売するという衝撃的なコンセプト。
この作品を実現するため東京都美術館と行った交渉についても語ってくれました。

先端は昨年まで横浜のBankArtという会場での卒展が主流で、企画運営全てを学生が行い、上野の芸大卒展ではそのドキュメントのみの展示という形態でした。
それが今年は一変し、芸大上野で卒展を行うことが決定されました。
学部生は東京都美術館での展示となり、穴開きの壁で禁止事項の多いこの場所は今までの先端の流れを考えると不向きな場所といえます。その状況から考えだしたのがこの作品。
美術館の構造について考えた作品だといいます。
普通、展示会場には作品が展示されている。非常に価値がある、という目で見られる作品が並べられているもの。しかし会場を抜けてミュージアムショップに向かうと、そこには作品を縮小し印刷されたポストカードやグッズが、「作品」としてではなく「商品」として安価で販売されている。ミュージアムショップ自体が商業空間として「作品」を取り扱っている。その差はなんなのか。展示されていればそれは作品で価値があるものなのか。
「鑑賞者は何故、別々の価値を受け入れているのか」ということへの問いかけが今作品では行われています。


それを考えるため、展示会場にミュージアムショップを設置し、そこで先端生の作品ポストカードを実際に販売する作品を作ったのだそうです。
ですが一つ壁がありました。
東京都美術館では「個々の作品を売る」ことを禁止しています。
そこで田村さんは言い方を変え、「団体として売る」ものであると主張したそうです。
すると展示も販売も許可が降りたのだそう・・!
ただ言葉を変えるだけで、田村さんさすがですが、驚きました。
さらに、先端が独自に作ったカタログのステートメント内には「コンセプト」を販売する契約書が載っています。カタログを購入することで、購入者全員に田村さんの作品コンセプトを購入する権利が生じるのです。
サインと印をしてもらえれば、と田村さん。
粟田さんは「構造がねじれていて面白い」と好評価。
粟田さん「昔読売アンデパンダン展というのがあったでしょ。あれはまさにこの場所だった。何をやっても自由だったわけ。でも田村さんは、東京都美術館に逆らうとか攻めるという方法ではなく、”言い方を変える”という振る舞いでコンセプトを示していったのが変わってる、というか、異なる部分だね。戦いの方は選ばなかったという。で、最終的に狙いは何なのか?」
田村さん「展示会場にミュージアムショップがあることにお客さんは「おかしいな」と思う。意識的に考えるきっかけになったら。」

粟田さんから田村さんへの問いかけと提案に対し、カタログの権利販売の話をしたり、既に考え行動にうつしている田村さんに粟田さんは感服といったご様子でした。

学部生の講評会が終わり、、場所を変えてラウンジークのセッションへ。プレゼンの準備までしていただいておりました!話は、美術批評家になった経緯と、現在につながるキュレーションや、自らの批評の立場や歴史性についてお話しされました。博識な知識に裏打ちされたお話に、ラウンジメンバーは皆興味津々でした!






最後は久保ガエタンさんの講評です。
久保さんは「オカルト」への視点が作品のコンセプトになっているようです。
「オカルトから狂気へ」というのをキーワードに、社会と結びついた「狂気」について考えているそうです。
粟田氏「超常現象に作り込みの見方を提示するのは面白い。オカルトはもう現実的になったと。作品のインパクトはあるからもっと内と外の見方のアプローチを見せてほしい。日常と非日常の区分がないまぜになったのでその往還を考えるのは難しいよね。」
とのことでした。



総評として粟田さんはこのような言葉を残してくださいました。
粟田氏「今迄は外部にいたわけで、それが内部になったことで、問題やモチベーションはどうなっていくんだろうか、というのが気になる。色々な実験を、「先端芸術表現科」をふまえた上で、アクションはどんどん起こしていけばよいのではないだろうか。」

作家は内部を外部化したり、外部を内部化して作品を作っています。そのため、内部と外部の視座や考察、そして内外におけるやりとりやプロセスは重要なキーワードだと思います。また、内部性と外部性に関する視座や考察は、自身の日常であったり生活であったり、また世界の情勢や日本の未来について考えていく上でも身近です。
3月11日の大地震によってがらりと変わった自身の内部と外部の世界について考えざるを得ないし、様々な作家にとって、少なからずこれまでとは違う表現の発露のきっかけとなっているでしょう。

その上でどのような内外の関係性を導き出してゆくのか。
内部と外部についてどんな視座を持つ作品が現れてくるのか。
とても興味深い問題が立ち現れたトークでした。

4日間のトークイベント「午後はラウンジで会いましょう」上野篇でした。
怒濤のような日々、濃密でカジュアルなイベントとなったと思います。
さまざまな考えでさまざまな感覚で、さまざまな表現手段と主題をもった作品たち。
東京芸術大学の卒業・修了作品展を楽しむ上でも、また先端芸術表現科の作品を楽しむ上でも、非常に価値のある企画であったと思っております。

ご来場、ご来聴の皆様、誠にありがとうございました。

来年の卒業・修了作品展にも引き継がれるのでしょうか。引き継ぐべきでしょう。
実に楽しみです。




文責 林友深 三野新


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